Algernon Cadwalladerの最新インタビュー記事を和訳してみた(byオニギリギリオ)

Photo from Stereogum

みんな大好きエモリバイバルヒーロー、Algernon Cadwallader。過去作LPが再発されることが話題ですが、それに際してStereogumが行ったコチラのインタビュー記事を、オニギリギリオことWaterslide Recordsのカズさんが翻訳してくださいました。このブログおそらく初めての寄稿記事をぜひ楽しんでください!

 

—以下、記事翻訳—

「エモ・リバイバルのヒーロー、Algernon Cadwalladerが戻ってくる!(プレスで)」

最も影響力のあるエモバンドは、不完全で欠陥のある語彙を使われ、いつだって追悼されている。彼らは何か大きなものとの瀬戸際において解散し、今日の批評家たちによって誤解されたり軽蔑されたり、商業的に成功した仲間のバンドたちに最も大きな影響を受けたバンドと引用される残酷な小さな作品を遺産として残している。Algernon Cadwalladerがカルト的に愛されるも現在は存在しないエモバンドとなってから、メンバーであったPeter Helmisがそのフィラデルフィアのトリオについて「到達不能な何か」があったことを懐かしく思い出すことは正しいことだろう。

「くだらない名前、だけど最高のバンド」と2009年に英国の音楽雑誌”NME”の「地下からのメモ」というブログに紹介された。彼らがメロディック/ポップパンクやハードコアから「シカゴ全体で沸き起こった90年代のエモ的なもの(Cap’n Jazz、BraidやAmerican Football)」を演奏する音へと移行したときのオリジナルラインアップはPeter Helmisがベースボーカル、Nick Tazzaがドラム、そしてJoe Reinhartがギターで2005年に結成。2008年リリースのアルバム「Some Kind Of Cadwallader」を聴けばどのようにエモ・リバイバルが創り出されたかを効果的に説明されているだろう。

 
「当時、(エモのことを)誰も話してなかったから、それをやっちゃうのはクールだなって。」とPeterは今回の会話の中で述べている。他の多くのバンドもすぐに早弾きのアルペジオ、タッピングギター、ハンマリング、カポを使ったりと所謂”トゥインクル”と言われる、見せ掛けは同じようなスタイルの曲に向かって引き寄せられていくことになるのだが。4年間の中で、Algernon Cadwalladerは自分たちのレーベルを立ち上げ、現在まで続いているインディーロック革命の火付け役となっている2枚のアルバムをリリースし、そして自分たち自身の言葉で解散をした。どんな測定方法を用いたとしても短命に終わったフィラデルフィアのトリオは、自らが宣言していたすべての芸術的目標を達成するも1cmもブレなかった。だから、もしPeterがAlgernonに「到達不能」な何かを実際に見ているなら、フィリーの地下室で彼らを見るチャンスがなかったファンの声や、ストリーミングサービスで彼らの廃盤アルバムにアクセス出来ないファンの声を受けて、Peterがちょっとは何かを計画しているかもしれない。Lauren RecordsとAsian Man Recordsがタッグを組み、その結果「Some Kind Of Cadwallader」、その次作「Parrot Flies」、デモやシングルやレア音源を集めた編集盤をリイシューされることで、少なくともアクセス出来ないファンの声に関しては状況が変わるだろう。

「俺たちは全てのことを自分たちでやっていたんだ。そんで、レコードをプレスしてレーベルっぽいことをやっていく意欲がただなくなったんだ。」とPeterは認めている。そのレーベルHot GreenはHop Alongの「Get Disowned」やHurryの「Everything / Nothing」を含めた2010年代のフィリーのインディーロックの重要な作品をリリースしている。「当時は本当にデジタルってのが嫌いでそっち側には手を回すことがなかったしね。」

電話での話では彼がどこまで今回のリイシューに実際に関わっているのかははっきりしていない。バンド名と同名タイトルの編集盤には最初のデモ音源に2011年の「Fun EP」、加えていくつかのバージョン違いやUK盤オンリーの曲が収録されていて、大げさっぽくやっているElvis Costelloの「No Action」のカバーが収録されていることを私が口にしても、Peterは冗談っぽく「えっそれも収録されてるの?」と答えていたし、「リッチモンドにいる俺たちの友達のCoreyにウェディングの時にバンドをやってくれって頼まれたからそれっぽい曲をやったんだよ。BeatlesやBeach Boysの曲をインストでやったりしてその中からボーカル入れて録音しようぜって決めたやつだ。」と思い出していた。

 
「Some Kind Of Cadwallader」は本質的にすべてのエモ・リバイバルの出発点であり、DIYインディーロックが過去10年間でどのような形になったのか興味がある人は聴くべき作品。つまり、偽りなく、音とスタイル両方共において90年代を連想させ、結果論としてフィラデルフィアを今のギター音楽の首都にまで跳ね上げさせたもの。「Parrot Flies」は3年後にリリースされた。その後、ほとんどのエモバンドのお手本となった作品。レーベルからのプレッシャーなんてものはなかったので、Peterが言うにはレコーディングは2回行ったそうだ。周囲からの好奇心や野心が高まっていても成功することへの無関心さには敬意を表すのみ。

しかしながら2012年になると、Algernonがもはや彼らそれぞれの人生を追求し続ける最善の手段ではないことが明らかになる。JoeはJoyce Manorの「Never Hungover Again」、 Modern Baseballの「Holy Ghost」といった現代の数多くの名作や、今話題になっているThin Lips、Nervous Dater、Bad Moves、Smidleyに、FoxingのConor Murphyのソロ作品といったプロデュースをしながら、Frances Quinlanのソロプロジェクトをみんなが知っているHop Alongの現体制であるフルバンドバージョンへと拡張する助けをしている。Nickは1994!やPrawnといったバンドのメンバーとエモリバイバルシーンのスーパーグループの集合体Everywhenで活動していて、「Summer Singles EP」がLauren RecordsとAsian Man Recordsからリリースされたばかり。この段落で挙げたバンドにピンとくる人は聴くべき作品だ。

Algernon解散後、Peterが関わっていたバンドの中で最も注目されたプロジェクトはDogs On Acidだろう。このバンドは彼とNick、それにSnowingやStreet Smart Cyclist、Glocca Morraで活動していたNate Dionneによるトリオ。Dogs On AcidはJoeの録音でバンド名と同名のタイトルを持つアルバムをリブートされたJade Treeから2015年にリリースした。「かなり恐ろしい仕事になっちゃったよ。」とPeterは苦笑しながら、Jade Treeが当時Algernonをリリースしたがった時に、彼のした自分たちでやり続けるという決断は間違っていなかったということを最終的に確認したようだ。Peterは「終わったことだけどね。」と言ったが、よくあるスケジュール調整の難しさや責任のレベルというよりも音楽業界の気まぐれが原因とため息まじりで話してくれた。実際、Jade Treeは静かに幕を下ろしEpitaphに買収された。現在PeterはNateとYankee Bluffをやっている。彼曰く「今までやっていたどのバンドよりも気楽!」だそうだ。

しかし、Algernon Cadwalladerがバンドを復活させる可能性については、Peter自身は実現が難しいことを好んでいる。近日リリースされるディスコグラフィーについては、「どんなにみんなが見つけるのに必死でいてくれたことはうれしい。だから、ライブについては確実にもっとみんなを待たせることになるだろうね。」と語っている。

 
STEREOGUM: 2005年にAlgernon Cadwalladerが最初に始動した時って、フィラデルフィアは、インディーロックシーンでは大きく知られていなかったですよね。それが今じゃブルックリンに変わってインディーロックの定番みたいな冗談を言われるほど人気があるように思われている。個人的にその状況をどのように感じています?

PETER HELMIS: まさにその通りだね。そういったシーンが近所と一緒に高級化されたみたいな(注:フィラデルフィアは再開発によってこれまで危険だったエリアも一新し高級化されている。)。前は本当にクールなことが起こっていたんだ。けど、それを見つけるには結構頑張らないといけなかったんだけど。当時は、伝説的なポップパンクやハードコアバンドも少なくも活動はしていたし、ハウスショー(注:誰かの自宅や地下室で行われるライブ)のコミュニティーも続いていたし、当時も楽しむには十分な大きさだったと思うよ。フィリーには今よりもたくさんのバンドがいたかって? わかんない、でも俺が覚えているのは、全部のジャンル。ハウスショーをやる家によってライブのジャンルが偏っていたこと。色んなジャンルのバンドを見るのって全然普通のことだったね。

STEREOGUM: 今はもうそんな感じじゃないと?

HELMIS: 1つの目当てのバンドを見にライブに行くでしょ、そうするとオープニングでやる3バンドもみんな同じような感じが殆どだね。全部がそうではないけど、当時の方がバラエティに富んでいたと思う。

STEREOGUM: このリイシューの要望は、君たちの目覚めに続いていった、君たちに影響されたって発言している、自らエモと定義しているバンド達から起こっている。そう言われることで苦労したことって今までないですか?「エモ」って言われている全部のバンドがそれに当てはまるように自分は思うんですけど。

PETER: 笑。俺はみんなが物事にあまりにも大きなレッテルをつけていることを考えないようにしていたよ。だから、俺たちがやっていたことには影響していない。俺たちがシーンをどんどんひとまとめにして均一化してっちゃったのかなぁと俺は感じている。フィリーのライブシーンみたいに。より良いライブをやりたくて、最終的に同じようなギターサウンドになってバンドが終わるみたいな。いや、でも良い時代だったよ。そのことについて悪くいうことは何もないしね。

STEREOGUM: いつも気になっているんですけど、Twitterも主流となる告知方法もなかった2000年代後半のバンドがどうやってお客さんを集客していたのか興味があって。

PETER: 俺たちのブログはそんなに影響あったとは思えないけれど、それこそがあの頃のソーシャルメディアだったよね。俺たちはあんまりそういったものに力を注いだりメディアに向けて話したりという努力を全くしなかった。そういうことに全く興味なかったし、俺たちのためにそれをやってくれるやつもいなかったし。そうだね、ただ上手くいっただけ。最初のアルバムをリリースする前にツアーをいくつかやって、口コミで広がっていった。まさにそれだけだったね。

STEREOGUM: このシーンにいる他のバンドとはどういう風に繋がっていったんですか?

PETER: ネット自体は今と全く違っていたんだけど、全てがSoulseek(P2P無料ファイル共有ソフト)の時代でいろんな人のフォルダーを覗きまくっていた。誰かのフォルダーに自分が好きなのが入っていて、そこに知らないのが入っていたら「おっこれチェックすべきだな!」みたいに。俺たちはアクセス可能なところ掘りまくって、良いと思ったものをお互いにシェアしていたんだ。あとは、一緒に対バンしたバンドで、ツアーを通じてたくさん見つかったよ。

STEREOGUM: 東海岸以外をツアーすることを始めた頃、例えばサンフランシスコで5人なのか100人なのかライブに人が来るだろうって見込みありましたか?

PETER: 全くわからなかったね。ただ西海岸に行くってことや国を旅するってことで興奮していたしね。1stアルバムの後は、その頃になると聴いてくれている人がいて、レコードもちょっとは売れていたし、少しは知られているってわかったけど。俺たちのライブでオーディエンスが盛り上がり始めるようになった時、最初は驚きだった。それから慣れてくると、すごい楽しくなってきたけど。

STEREOGUM: Joyce ManorとTigers Jawにインタビューをしたんですが、両バンドともAlgernon Cadwalladerとツアーを回った時が彼らにとって最初の「マジか、俺たち良い調子になってきてんじゃないのか!」って瞬間だったそうです。Algernonにとってそういう時ってありましたか?

PETER: 思うにそれは俺たちのレコ発ライブだったかな。ウエスト・フィリーの地下室で、レコードが出て1ヶ月くらいのタイミングだったのに、俺たちの近しい友達だけじゃなかったんだ。知らない奴らがシンガロングしていてさ、「これマジか!」って。それ以外は、ゆっくりと構築されたもの。一晩過ぎたらライブに100人以上の人が一気に増えていたなんてことはない。最初のツアーの時は50人から100人くらい。で次のツアーで100人から200人みたいな。

STEREOGUM: AlgernonはThe World Is A Beautiful Place And I Am No Longer Afraid To DieやRestorationsのように長くやっているバンド達の極初期の頃に一緒にやっていたりしていますよね。当時彼らのことをどう思っていました?

PETER: 俺たちと同じようなレベルの頃に彼らと知り合えて良かったよ。一緒にライブやるのは楽しかったしね。ずっと彼らを見ているような気分で、レコードをたくさん見かけるように成功してより感動したね。最近のJoyce Manorのライブを何箇所か見に行ったんだけど、マジで狂っていた。パンク版アリーナでバンドを見ているようだったよ。

STEREOGUM: だけど、そういったバンドの最終的な姿を見て、もしAlgernonが続けていたら同じような成功を達成していたんじゃないかって思いませんか?

PETER: 俺たちは絶対に自分たちのやり方を通したよ。そこについては超ピュアなんだ。俺たちは目指していたゴールに達したと思っている。俺たちはホントにプロフェッショナルなミュージック産業ってやつに興味がなかった。途中でやり方を変えなきゃいけないだなんておかしいよ。俺たちそこはブレなかったから俺は嬉しいんだ。俺たちの最後のツアーはJoyce Manorと一緒で彼らのサポートだった。あれは全てのことがちゃんと計画されたようなライフスタイルに近づいたっていうときだね。悪くなかったよ!ただ俺たち自身でやることではないけどね。

STEREOGUM: Algernonが解散した直後、このシーンの話題が爆発的になって君たちは「エモ・リバイバル」の第一号だったと言われるようになりました。この当時の思いってどうでしたか?

PETER: 間違いなく恥ずかしいってことじゃないのは覚えている。だけど、えーと、未だに続けてなくて良かったなみたいな。「次世代」のものみたいな。もしあの時バンドをそのまま続けていたら、そこと一緒っていう固定観念を持たれたくなかっただろうね。それに俺たちがそういったアイデアに応えなければならないって感じたり、たくさんの人をがっかりさせただろうね。だって、俺たちはそういったアイデアに応じたくないからね。

STEREOGUM: どのくらいの頻度でAlgernonのアルバム聴き直したりしていますか?

PETER: 随分経つな。1年に1回くらいにはチェックしているよ。ドレクセル大学のラジオステーションからはなんども流れてくるけど。運転している時に「おっこれはいいなあ、前みたいなサウンドもいいなあ」って思うよ。もう、ああいった音楽を俺は演奏するなんてなんて思ってないからね。けど聴くと、「おっ、かっこいい、これ聴こう」って思うよ。

STEREOGUM: これは必ず聞いておかなくちゃ。リユニオンの可能性は?

PETER: 今はまだバンドには眠りについていたままでいさせておくのがくつろげるね。俺は全てのリユニオン文化がちょっと嫌いでね。あまりにも頻繁だし、ちょっと十分な時間ではないよ。まだバンドなくなって6年だよ。10年とかは時間欲しい、それか俺たちが50歳とかになるまで待ってよ!

※この翻訳は抄訳です。

—以上、記事翻訳—

上の記事にあるように、Algernon Cadwalladerの過去アルバムがLauren Records / Asian Man Recordsから再発される予定です。Waterslide Recordsをはじめ、日本でも買えるレコードショップはいくつもあると思うので、ぜひチェックしてみてください。

(和訳元記事: Emo Revival Heroes Algernon Cadwallader Are Back (In Print) | Stereogum)

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